報告者 : 中島貞夫 |
リーダー: 中島貞夫 サブリーダー: 佐坂茂美
男性:弓仲、園上、中田、金本、西上(正)、西川、山下、石田、梅沢、小川、津田、
女性:大谷、加藤、岸田、河野、西上(素)、堀尾、吉津、吉野、徳田(幸)、河合、樺山、
コースタイム |
青少年村(9:20)-不動の滝(10:50)ー避難小屋(11:20/11:50)ー三峰山(12:15/12:45)ー八丁平(13:00)-避難小屋(13:15)-展望小屋(14:00)ー青少年村(15:00) |
今回の、三峰山・国見山山行のリーダーを山口さんより依頼されて引き受けたが、山行計画については発表されており計画に従って登った。 バスが青少年村に到着した時から良い天気で、多くの登山者でにぎわっていた。スタート時点から1枚上着を脱いで途中で衣服調整をしなくても良いように声をかけて出発、林道には薄く雪があるが滑らないように慎重に歩く。登山口でアイゼンを装着する。雪は5~6cm位で少なく歩きにくい。大きな不動の滝は端のほうだけ凍っている、きれいだった。植林地帯のうす暗い中を歩き避難小屋までに到着。小屋の中は登山者で一杯、行動食を食べる。ここで一人が待機、残り23名で進む。少し進むと自然林になり周囲が明るくなって景色が一変する。 三峰山よりの眺望
山頂までは意外と早く着いたので、記念写真を撮って大休止とする。多くの登山者で座る場所を探さなければいけないほど賑わっていた。よく晴れていたので近くの山もきれいに見えた。 八丁平にて
八丁平を回って小屋へもどる途中後続と離れてしまい、道間違いをしてしまった。トイレをするのに止まったのを先頭まで連絡が届かなかったので分かれてしまい、遅れた人が誤って異なる踏み跡に入ったためと分かったが、多人数の山行では前後の連絡が難しくなるので無線機も携帯していたが、メンバー全員が前後を見て声を掛け合うことが大事だと痛感した。 |
報告者 : 佐坂茂美 |
女性:大谷、加藤、樺山、河合、岸田、河野、徳田(幸)、西上、堀尾、吉津、吉野
合計:22名
前日の三峰山山行に引き継ぎ霧氷の明神平・国見山山行である。 目を覚まし外を見ると早朝に降ったのかうっすらと地表は雪の薄化粧。 朝食をすませコーヒーを楽しむ仲間達の団欒中に中廣さんを乗せたバスは予定よりも少し早く投宿のやわた温泉に8時前に到着した。 宿泊組21名と合流し出発。 圧雪の残る道路状況で、バスは慎重に大又林道を進み展開出来るスペースのある広場で下車、歩行開始となる。 金本さんがGPSを準備してくれていたので、同氏に先頭を、遊撃に中島さん、最後尾を私が担当することにし出発。
登山口からは整然と一列縦隊で進む。 ストックや張り巡らされたロープを握り安全確保しながら大又川を数度渡渉し終わると若干険しい登山道となる。 歩行速度はそれなりにユックリだ。 このスピードでは矢張り「明神平」どまりで「国見山」は諦めることになるだろう。 高度を増すに連れ木々は雪を纏い綺麗な雪林を準備し私達一行を向かえてくれた。 「エビの尻尾」を期待した仲間もいたようだが、尻尾を拝むことが出来ずに残念だ。
寒風吹きすさぶ明神平での昼食の為、あしび山荘の周囲で風を少しでも防げる場所をそれぞれ確保し行動食程度の昼食となる。 明神到着は12時を過ぎていたため「国見山」は諦め下山することに決定し12時30分に明神平を後にする。
下山は順調に思えた。 が・・・これから予期せぬ事態が待っていた。
13時50分、Uさんが左下の大又川に向かって回転しながら転・滑落。 その距離5~6m程はあったろうか? 木の根に足を取られ転倒、滑落したとか(詳細は「ヒヤリハット報告書」で)。 幸い新雪もあり、木々もありで怪我などの大事に至らなくて良かった。 が・・・これが序章か? 次の事件が私達を待っていた。
登山口を抜け舗装された大又林道を歩いていた。 「バスが前方で立ち往生している。 私達のバスらしい」と誰かの声が耳に入る。 それは紛れもなく私達のバスだった。 スリップ痕を残し車は右斜面の金網に突っ込んでいた。 運転手は居ない。 レスキューを呼ぶため携帯電話の使える場所まで行ったらしい。 時間が経つにつれ他の登山者達も降りてきた。 皆車で来ていたため バスが道を塞ぎ立ち往生。 やがて運転手が帰ってきた。 動きのとれない登山者達の協力でジャッキアップしチェーンを装着し、車輪の進む方向の氷結部分をピッケルやアイゼンの爪で除去し、タイヤ部分に加重をかける為バス内に乗ってもらいどうにか金網から脱出。
バックで離合できる場所まで移動。 迷惑をかけた登山者達の車を見送り さらにバック運転。 この時、標準装備のホイッスルを使いバスガイド並みに車を誘導。 (ホイッスルにはこんな使い方も山行ではあるのか?)
5時過ぎに転回できる場所に到着した。 一安心である。 携帯の使える地点まで来た時にCLに報告。 5時30分頃、皆の待つやわた温泉に到着。 準備して頂いていたビールが美味かった。 それ以後は順調に新田辺に帰着した。
後日談ではあるがホームページの投書ポスト経由で以下のクレームが入っていたので紹介しておきます。(原文のまま)
「2/12貴会主催明神平登山に際し、安易にマイクロバス迎えをを林道終点まで運転させ(チェーン装備にかかわらず、それを装着も行わず)、路肩にスタックさせ、道を塞ぎ、多くの車を道連れにしたことを猛省を促したい!!!運転手、リーダーの力量、判断力を疑わずを得ない。多くの人が協力して脱出できたものの大迷惑をこうむり努努努努努努努努努努努努」
このメールは協力して頂いた登山者の1人です。 多分会員証を見て「京都田辺山友会」であることを確認されたのでしょう。
今回の山行では前日の三峰山でも他の登山者からクレームが大声で発せられました。 「写真を撮るなら道の真ん中で立ち止まって撮るな。 避けて撮れ」。 それも一度ではありませんでした。
今一度皆で初心に帰り山行のマナーを再確認しようではありませんか?
感想文 |
金本好彰 |
山口さんの企画で三峰山・明神平に行きました。 2山登の宿泊組が21人で、日帰り三峰山は3人・明神は1人でした。 日帰り組は何らかの理由があって宿泊できない人だと思う。 計画当初は新しい企画で期待していたが、日帰り参加者が少ないのは残念でした。 結果論で言えば、宿泊の翌日早朝バスでの出発が遅くなるので、行動時間が遅くなり目的地まで行くことができなかった。 三峰山に昨年登った時は雪が少なく、登山客も少なかったように思ったが、今年は雪が多いために、頂上に多くの人が居てグループで食事する場所も探さなければならなかった。 途中の避難小屋で長い休憩時間を取ったために、頂上での食事時間が少なくゆっくり出来なかったのが残念でした。 「雪山はいつも行動食である」といわれる。 私は、登山は厳しい場合を除いて楽しく登ることが大事であると思っている。 目的地に行けない場合は、途中で下山すればよい。 八丁平からの帰路、きじ討ちがあり先頭集団より遅れてしまった。 遅れた集団の先頭(女性3人)が、リーダーが再度頂上へ登って避難小屋まで行ったと勘違いしてどんどんと登って行く。 私はでっきりリーダーの後を追いかけているものと思って従った。 暫く登ってから「リーダーは頂上へ登っているのではなく、分岐点から真っ直ぐ下りの道を歩いているはずや」ということになり、戻ることになった。 避難小屋で先頭集団と一緒になり、ほっとした。 人気のある山で、大勢の人が登っているところなので、 ① 後ろの人が来ない場合は、その前を歩いている人が、先頭のリーダーに知らさなければならないことを怠った。 ② 道の分岐点では、後ろの人が遅れている場合は、後続が追いついたことを確認してから進むべきである。 ③ 自分勝手にルートを考えてはいけない。 地図を見て今日のルートをよく確認してから進むべきである。 以上、反省した。 明神では先頭を歩いた。 大勢の集団となっているので速度が遅い。 林道終点、川の渡渉地点・明神滝のところで合流したが、それから先では、先頭と後ではかなり離れてしまった。 水場を越し、頂上直下は、樹氷の写真ポイントでゆっくり登って後ろが追いつくのを待ったが、なかなか追いついて来ない。 取り敢えずもうすぐの頂上を目指した。 頂上は、かなり寒い。 風もきつい。 こんな所での食事は辛い。 少し下の風の少ない所で食事をしたかったが、やむなくここで食事をとることになった。 間もなくリーダーも到着した。 みんな山小屋や近くのあずま屋の軒を借りて昼食を摂った。 帰り道で、食事をしていた人が居た。 寒いといっていたが、たのしそうである。 下山途中、トラバースでUさんが5m程滑落した。 怪我が無くてすんだが、雪道の下りである。 気を抜かないで欲しい。 |
梅澤宗平 |
プロローグ ここ2週間ほど鬱状態が続いている。原因を考えてみる。走ろう会に入会して1年近くなるのに一向に進歩を感じられないこと。走れないのに駅伝の選手に今年もなったこと。最近、物がなくなることが多くなったこと。いろんなことに手を出し全部が破綻しつつあること。インナークライミングに初挑戦し、予想した通りの結果に終わったこと(内心はもっとやれると思っていました)。 明神平 三峰山の翌日は明神平山行である。去年も同じ時期にY企画で行く機会があったが悪天候のため中止となった。いろんな方から話しは聞いていた。が、実際に体験してその寒さに驚いた。 もうすぐ明神平というところで下りてくる二人連れの登山者とすれ違う。「明神平は寒いよ。身を隠すところがない」。なんのことや?明神平はパウダースノウが舞っていた。昔、人工雪の開発の手伝いをやったことを思い出す。山小屋が1軒建っている。200mほど先には東屋と倉庫らしきものが見える。そのそばに黄色いテントが一つ見えた。それ以外はまさに白黒の世界であった。まわりは木もなく、まさに平らな地である。風を避けようと山小屋を一周するもどの方向も強い風が吹いている。風が山小屋を中心に回っていた。昼食を食べる。弁当の中に小雪が舞い込む。おにぎり1個をやっと食べた。隣のNさんは全く食事ができなかったようである。寒さを避けるために小屋の廻りをうろうろする。もう一人のNさんが顔中雪にまみれながら最後の一口を食べ終えるところであった。冬山は十分エネルギーを補給することが肝要であると言っておられた。因みに同じ弁当であった。当初予定の国見山の登頂は諦め、さっさと下山する。途中、先ほどの登山者が立ったまま鍋を取っていた。「ここも寒い。森の中に入れば風が弱まる」。そこから50mも下ると全く寒さを感じなくなった。明神平は経験したことのない不思議な世界であった。後で思ったがスコップを持っていけばよかったなと。スコップで風よけを作る。 人はなんのために山に登る? 新田次郎の小説「孤高の人」の主人公加藤文太郎は汗をかくために山に登ると答えている。僕もそれに近い思いを抱いている。だから雨が降ってずぶぬれになろうとそのために素晴らしかったであろう景色が見えなくてもその山行を悔いたことはない。どんな山も行って良かったである。もともとはメタボ対策で始めた山登りだからかもしれない。今回は表題のことを考えさせられた山行であった。 山でのエチケット 今回の山行で見ず知らずの登山家から教えられたことがある。そのいくつかを紹介したい。リュックを下ろすときはルートから外して置く。他人の山行の邪魔になるから。写真を撮るときはルートから外れて写真を撮る。他人の山行の邪魔になるから。 山中幽人と対酌す 帰りのバスの中でうとうとしているといつしか美しい歌声が聞こえてきた。山友会の歌姫Hさんである。その後、何人かがマイクを握られた。誰か記憶にないが(或いは自分かも?)Nさんの詩吟を聞きたいとの発言が出た。Nさんは一つも臆することなく表題を吟じられた。なんともその場にふさわしい題目であった。少しだけ心が晴れた。 エピローグ もし役員になれたら以下のことを実行しようと考えています。 山友会勧誘ポスターの作成と声掛け運動の推進。みなさんのご協力をお願いします。 |
写真提供 : 梅澤さん 佐坂 |